July 10, 2009

通勤読書本の切り替え

『四千万歩の男 忠敬の生き方』(井上ひさし)読了。
以前読んだ『四千万歩の男』(全5冊)は実に面白かった。これは「蝦夷編」と「伊豆編」であって伊能忠敬の17年間に及ぶ大事業のほんの一部に過ぎないため、続編、特に「九州編」に大いに期待しているのであるが、『四千万歩の男 忠敬の生き方』を読む限り、筆者は「ひとまず筆を収めた」と宣言している。

替わって『わたしの流儀』(吉村 昭)を読み始めた。
吉村昭の随筆は、先月読んだ『縁起のいい客』に続く二冊目であるが、大作家らしからぬ親しみやすいテーマと歯切れのいい文体は期待通りである。『縁起のいい客』は10日足らずで読んでしまったが、今回もあっという間に読み終えてしまいそう。

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July 09, 2009

うんざり

お昼、昼食は六本木通りのあの店で、食後「サントリーホール」でパイプオルガンを…、と目論んで職場を出たのだが、途中で雨がポツポツと降ってきた。傘を持って出なかったのが失敗だったが、あえなく職場の近くのレストランで食事、パイプオルガンはあきらめ。どうも今年の梅雨は「はっきりしてくれよ」と言いたくなる「うんざり型」のような気がする。
「うんざり」は何となく日本語らしくない響きであるが、語源は何だろう。「雲去り」では「梅雨明け」のイメージだから違うのだろうな。
そこで『言海』を紐解くと、「倦(ウン)ズアリ、ノ約カ」とあった。[東京]の表示があることから、元々東京方言なのかもしれない。

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July 08, 2009

どんより

天気予報は雲マークの行列。梅雨明けは未だかね~と外を眺めれば「どんより」証拠。
「どんより」は漢字でどう書くのだろう。「曇寄り」かな~。

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July 07, 2009

たなばた

「たなばた」を「七夕」と書くのはなぜだろう。
『言海』で「たなばた」をひいたら、なんと「棚機」が出てきた。[其構ヘニ棚アレバイフ]という前置きの後に「(一)機(ハタ)トイフニ同ジ。(二)棚機津女ノ略。」とあり、(三)でようやく「七夕」が登場する。
それでは「七夕」は何と読むのか。『言海』では「しちせき」の条でようやくお目に掛かることができた。
「たなばた」に「七夕」の字をあてた背景には日中文化の複雑な融合があるようだ。

   牽牛織女文字間違へてそよぎをり   川崎展宏

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July 06, 2009

ゼロ戦の日

今日は、「1939年(昭和14年)に零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行がはじまった。」【こよみのページ】より、「ゼロ戦の日」とされている。
以前の記事で、中学時代、ゼロ戦に熱中していたことを書いたが、古い写真を整理していてその一端がうかがえる写真を見つけた。
写真は3枚残っているうちの1枚で、一番まともなもの。他の1枚はプロペラを回そうとして扇いでいる団扇が写っているもの、もう1枚は傍らに学生鞄の肩掛けが写っているものであるが、僕にとってはこちらの写真の方が懐かしい。
考えてみれば、昭和14年の試験飛行の僅か20年後に、このようなプラモデルになっていたということである。

Zero_sen

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July 03, 2009

地図ゲーム

再近時の通勤本である『四千万歩の男 忠敬の生き方』(井上ひさし)の中に「地図ゲーム」という言葉が出ていた。
井上先生がおっしゃる「地図ゲーム」とは、パンフレットやレストランのマッチ、美術館の案内チラシなどから得られた情報を白紙に書き並べて、現地を踏査することなしにその地の地図を作るというものである。これは実際にやってみたら面白いかもしれない。

僕が多分小学生の高学年の頃、「地図ゲーム」ならぬ「地図遊び」に興じていたことを思い出した。これは井上先生の「地図ゲーム」のように現実的な地図を作るものではなく、架空の島を描いて、そこに首都や地方都市を設定して、港を開いたり、道路や鉄道(国鉄と私鉄を区別していたように思う)を配置して、あくまで架空の地図を作成するものである。
後年、パソコンで架空の都市を作って市長として経営するゲームが出てきた。僕の「地図遊び」もけっこう先進的な要素を持っていたとも言える。

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July 02, 2009

ランチ食べ歩き 再開

7月に入って、虎ノ門通勤も(長くて?)残り10カ月余りとなってしまった。
4年前、虎ノ門勤務を始めた頃の「ランチ食べ歩き」に対する情熱はどこへ行ってしまったのだろう、と深く反省して、今日は雨の中「平五郎」さんへ。この店は「西洋料理」という看板を目にして以来、一度行きたいと思っていた処。
店内はまことにコンパクトで、カウンターのみの10席程度。「ロールキャベツ/ドミグラス」(\980)を頼んだら、あまり間を置かずに出てきたのがもう病み付きになりそうな逸品。
メニューには他にもビフテキ、カツレツ、海老フライと、洋食の定番が並ぶ。今後何回か足を運ぶことになりそう。職場に戻ってから、箸袋に書いてある「口福処」の意味を噛みしめたのであった。

「食べ歩き」再開の第一号がリピート率大となりそうな店となってしまった。

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July 01, 2009

しおり

電車が揺れた途端、傍らで立っている人が開いている文庫本から「しおり」がはらりと落ちた。拾って手渡すと、軽く会釈を返された。

「しおり」を『言海』で探したが、なかなか見つからない。「しをり」の項に、「栞 [撓リ、ノ義。借字ニ枝折ナドトモ記ス](以下略)」とあった。「撓リ」も「しおり」と読むらしいが、「撓」を「たわ・む」とか「た・める」とかしか読めない僕には「しおり」の語源がわからない。

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April 19, 2009

当たり前

「朝飯前」とは朝食に対して時間的に「前」のこと、「江戸前」とは江戸の町に対して空間的に「前」のこと。
それでは、「当たり前」とは何に対する「前」のこと? 
『言海』を調べても「あたりまへ[當前](一)理ノ當ル處。當然  (二)ツネナルコト、ナミ。ツウレイ。尋常」と当たり前のことしか書いていない。
その他いろいろ調べてみると、どうやら「当然」の当て字「当前」を「あたりまえ」と読んで「当たり前」となったらしい。

「当然」を「当前」と書き間違えた人、「当前」を「あたりまえ」と読んだ人がいなかったら、あの名コピー「当たり前田のクラッカー」は生まれなかったわけであり、いろいろな齟齬が歴史を変えるということはあり得るのかもしれない。

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April 18, 2009

饔前

」の字を使えば「饔前」で「あさめしまえ」と読める。もちろん、一般的には「朝飯前」と書く。
ところで、「簡単な」或いは「容易な」ことを「朝飯前」というのはなぜだろう。
「朝飯を食べる前に出来る位だから簡単だろ? 当たり前な事を聞くな」と言われればそれまでだが、ことさら「朝飯」と言うのは何かいわれがありそうだ。
くろご式慣用句事典』によると、「農民が朝仕事前に食べた軽い食事(=朝飯前)」を「お茶の子」と言って、このことから「容易に出来ること」を「朝飯前」と言ったり、「お茶の子さいさい」と言ったりする、という説もあるようだ。

最近は朝食もとらずに登校する子供や出勤する若い人が増えているようだが、待っているのは「お茶の子さいさい」の事ばかりではないだろうに…。

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March 30, 2009

饔と飧

「食」の付く面白い漢字を見つけた。
先ずは「饔」。この字、音読みは「ヨウ」だが、訓読みは「あさめし」なのである。
次に「飧」。この字、いかにも「ゆうめし」と読みそうだが、「ソン」という音読みだけで、訓読みはない。
しかし、漢和辞典を調べてみると、「飧」の意味はやはり「ゆうめし」のようだ。

一字で「ひるめし」と読む漢字は残念ながら見つからない。

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March 29, 2009

□肉□食(2)

牛肉疑食…よくよく見たら、松坂牛とか、米国牛とか、小さく書いてあったりして。
魚肉嫌食…日本人の魚離れが進んでいるようで。
駄肉節食…メタボ防止にはほどほどに食べることが有効だとか。

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March 24, 2009

□肉□食

□の中に漢字1字を入れよ、という問題。
出題者は「弱」と「強」を入れて欲しかったのだろうが、「焼」と「定」を入れた小学生(?)がいた。
昔から言われている冗談(実際にあった?)であるが、今でも味わい深い。

僕自身経験はないが、「鯨」と「給」を入れても成立するようだ。しかし、こちらは汚染の問題で議論が起きている。

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March 23, 2009

強い鳥

「弱い鳥」がいれば「強い鳥」もいるのだろうか。
これは残念ながらいない、「強い魚」もいない。

「強」の付く字がないかというとそうではなくて、「襁」「嵹」「蔃」「鏹」など、多くはないが、あることはある。
傑作なのは「勥」という字。一字で「キョウリョク」と読めそうだが、残念ながら「キョウ」という音読みしかない。

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March 22, 2009

2月28日の記事「鰯」に戻って…
「弱い魚」がいれば「弱い鳥」もいる。「鶸(ひわ)」である。
『言海』に「弱鳥ノ合字アレバ、ひはひはト弱キ意ナラム」と説明されている。「ひはひは」という鳴き声を実際に聞いたことはないが、確かに、か弱い印象ではある。

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March 16, 2009

三十六計

「三十六計逃げるに如かず」…『くろご式慣用句辞典』に、以下のように解説されている。
「1.計略はたくさんあるが、困ったときはあれこれ考え迷うより、機を見て逃げ出し、身を安全に保つことが最上の方法である。身の安全を計って、後日の再挙を図れ、ということを教えたもの。 2.転じて、面倒なことが起こったときは、逃げるのが得策であるということ。」

僕の今までの認識もこの解説のとおりであった。しかし、検索語「三十六計」によって巡り会ったサイト『まずは識る事から始めよう!』 を拝見して少し迷いが生じた。
「三十六計逃げるに如かず」は、「計略は36種類もあるが、結局は逃げるが勝ちなんだよね」と解釈すべきか、「36番目の兵法のとおり、勝算が無ければ、戦わずして逃げろ。最後の戦略は、これにつきます。」と解釈すべきか、ということである。後者はサイト『まずは識る事から始めよう!』の「兵法三十六計を学ぶ!」→「第三十六計 走為上」の解説に記載されていた内容。
すなわち、「三十六計」は「36種類の戦略」と解釈すべきか、「36番目の戦略」と解釈すべきか。「走為上」を「走ぐるを上と為す」と読めば後者が正解のような気がする。

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March 11, 2009

三十一文字

「三十一文字」…「さんじゅういちもじ」でも間違いではないのだろうが、一般的には「みそひともじ」と読む。5・7・5・7・7、合わせて31文字、即ち短歌のことである。

「短歌」と「和歌」の違いを聞かれて僕は咄嗟に答えられない。
『言海』の助けを借りると、「短歌」→「ミジカウタ」→「長歌」→「ナガウタ」と、けっこう「たらい回し」に遭うが、「ナガウタ」の条で極めて明解な答えに出会うことになる。

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March 10, 2009

三十而立

「三十而立(さんじゅうじりつ)」、有名な『論語』の一節。『くろご式慣用句辞典』に「三十歳になり、自己の確固とした立場を以って揺るがさず、精神的に自立する。」とある。このことから30歳のことを「而立」と言うのだそうだ。

「而」の、音読みは「ジ」、訓読みは「しか・して」、部首読みは「しかして」だそうである。
「而」を一部に使った漢字は沢山あるのだが、その中で部首読み「しかして」の仲間は「耐」「耏」など非常に少ないようだ。
「耏」の音読みが「ジ」というのは想像できるのだが、訓読みが「ほおひげ」というのは驚きだ。「而」が「ひげ」の象形文字ということを知れば納得である。

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March 09, 2009

三□九□

今日のタイトルは「三口九口」という新しい四字熟語のことではない。□(しかく)の中に漢字1字を入れていくつ四字熟語ができるかという問題。

先ずは、「三思九思(さんしきゅうし)」。この熟語は「四字熟語データバンク」で初めて知ったのであるが、「何度も繰り返しじっくりと考えること」の意味だそうで、「三思」も「九思」も「何度もじっくり考える」という意味とのこと。「三」も「九」も強調するのに用いられていて、相互に関係はないようだ。

次に、「三拝九拝(さんぱいきゅうはい)」。これはよく知られているように、「何度も頭を下げて人に敬意を表したり、物事を頼んだりすること」の意。「三拝の礼」と「九拝の礼」というのがあるらしいから、これも取り敢えず「三」と「九」の関係はないようだ。

そして、「三三九度(さんさんくど)」。これが四字熟語と言えるかどうかは別にして、こちらは「三杯ずつ三度杯を遣り取りして九杯」と〝数式〟的表現となっている。

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March 08, 2009

散髪

『言海』で「散髪」のことを次のように書いている。
「(一)チラシガミ。(二)髪ヲ刷ラズ、結ハズ、其端ヲ切リテ、撫デツケテオクモノ。ザンギリ。」
これはかなり現代の感覚と違うと思って、試しに『goo辞書』を引いたら「(1)髪を刈り、形を整えること。調髪。(2)元結(もとゆい)を結わずに下げた、乱れた髪。ちらし髪。(3)「斬髪」に同じ。(4)「散切り」に同じ」とあった。(1)は現在僕が使っている意味と同じで安心した。

そして、『言海』の「ザンギリ」と『goo辞書』の「散切り」とは同じではないかと思って『言海』で「ざんぎり」を引いたら、ちゃんと「[散切]散髪ニ同ジ。」と出ていた。その後、我がATOK15で「ざんぎり」を変換したら、これまたちゃんと「散切り」が出るではないか。
「ざんぎり」の漢字が「散切り」とは僕にとって新しい発見だった。

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March 07, 2009

三三七拍子

3月に入り「送別会」などの宴会の機会が多くなってきた。多くの場合、宴会の終わりに「手締め」が行われる。

最近の手締めは、〝関東一本締め〟と呼ばれる「いよぉ、ポン!」が多く、「三三七拍子」はほとんど見られなくなった。
この「三三七拍子」も3回繰り返しの正式〝三本締め〟はまず見られず、やったとしても1回こっきりの〝一本締め〟である。「三三七拍子」の〝三本締め〟では、独占会場でもシラけた感じになるし、他の客もいる飲み屋では顰蹙を買いそう。
その点〝関東一本締め〟は呆気なくて、早く二次会に行きたい向きには良い。しかし、何とも味気なく、余韻を楽しむ雰囲気はない。

ところで、「いよぉ、ポン!」方式は、正しくは〝一丁締め〟と言い、正式の場では通用しないのだそうだ。

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March 06, 2009

36協定

「36(サブロク)協定」、勤めている人、勤めた経験のある人なら、よく知っているか、少なくとも一度は耳にしたことのある言葉だと思う。
しかし、僕もそうなのだが、中身まではあまりよく知られていないのではないか。

「法定労働時間を超えて残業したり、休日出勤をしなければならない時に、労使間でその旨の協定を結んで労働基準監督署に届け出なければならない」と「労働基準法第36条」に規定されていることから「サブロク(36)協定」と通称されている、という理解でよいのではないだろうか。

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March 05, 2009

三々五々

人々の道歩きの様子を表す定番句「三々五々」が、李白の「採蓮曲」の一節にあることを知り、その歴史の古さに驚いた。

「三々五々」とは3乃至5人の通行という物理的な情景ではなくて、3人のグループ又は5人のグループの逍遙という情緒的な風景だろう(どこが違うのや?という声もありそう)という解説をどこかのサイトで見た。李白の詩の一節とするとそのようにも思う。

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March 04, 2009

姿三四郎

一般的に「三郎さん」は3番目の子、「四郎さん」は4番目の子。さて「三四郎さん」は?

富田常雄の小説『姿三四郎』の主人公・姿三四郎(このモデルとされている西郷四郎は会津藩士・志田貞二郎の三男)は、明治15年、学士・矢野正五郎(このモデルとされている講道館柔道の創設者・嘉納治五郎は回船業・嘉納治朗作の三男)の柔道場に入門したとされている。

もしかすると小説を読めば書いてあるのかもしれないが、姿三四郎が3番目なのか、4番目なのか、これだけではわからない。
なんとなく言えることは、作者の富田常雄が数字の入った名前にこだわっていたのではないか、ということ。ちなみに、富田常雄は西郷四郎と共に「講道館四天王」の一人と言われた富田常次郎の次男にあたるそうである。

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March 03, 2009

燦々と、散々な

「さんさん」と「さんざん」で大違い、まさに明暗の違いである。

美空ひばりの『愛燦燦』[小椋 佳 作詞/作曲]に「さんさん」も「さんざん」も登場していることを知った。
先ず一番、「雨潸々と この身に落ちて…(後略)」。「潸々」も「さんさん」と読むようだ。
二番、「風散々と この身に荒れて…(後略)」。この場合、「さんざん」と読むのか、「さんさん」と読むのか、わからない。
そして三番、「愛燦々と この身に降って…(後略)」。「燦」は訓読みで「あき・らか」となる。

「散々」は「様子が酷く悪い、見苦しいという意味」だから「愛散々」とは言わないのである。

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March 02, 2009

身も蓋もない

「身も蓋もない」とは、
「容器の身(本体)も蓋もなく、何もかも曝け出している状態のことで、含蓄も情緒もないということ。」【『くろご式慣用句辞典』より】

この意味はわかっているつもりだが、よくよく考えると不思議な表現である。

ここに「ラッキョウの瓶詰め」がある。蓋がとれているので中が見えるのだが、誰が食べたのか中身がないのである。「ああ、この瓶は全てを曝け出しているのだな。なんと情緒のないことか…」
こういう場面でこんな風に考えるかな~。

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March 01, 2009

三位一体

「三位一体(さんみいったい)」という熟語は今でもよく使われる。元々は宗教用語のようで、『goo辞書』に次のように掲載されている。

「キリスト教で、父(神)と子(キリスト)と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものであるという考え方。転じて、三つのものが、一つのものの三つの側面であること。三つの別々のものが緊密に結びつくこと。また、三者が心を合わせて一つになること。」

『言海』には「三位(さんみ)」が掲載されていて、「三位(サンヰ)ノ連声。」としている。
我がATOK15は、「さんいいったい」と入力すると「三位一体」 と変換した上で「さんみいったいの誤読」と注意してくれ、「さんみいったい」と入力して初めてすんなりと「三位一体」を出してくれる。

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February 28, 2009

「いわし」は、『言海』に「弱シノ転。字ハ弱魚ノ合字。」という記述のとおり「弱い魚」が語源だとばかり思っていたが、違う説もあるようだ。第一音節が「ヨ」から「イ」に変化する例が他に無いことから「弱い魚」説は否定されているのである。
しかし、「鰯」という字は長屋王の邸宅跡から出土した木簡に見られるということから、やはり「弱い魚」説がもっともらしく思える。

「いわし」についての興味深い話が「神奈川水総研」の下記ページに掲載されている。
    「おさかな情報→さかなのあれこれ→マイワシ

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February 23, 2009

柊挿す

「柊挿す」とは、鰯の頭を柊の小枝に刺し、門に挿す節分の行事。尖った物や臭いものが嫌いな鬼を追い払うという。
この行事に由来して「鰯の頭も信心から」という諺が生まれたのだそうだ。ここでは「鰯の頭」は詰まらないものと解釈されている。

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February 22, 2009

ひいらぎ

「ひいらぎ」は『言海』に「ひひらぎ」として掲載されている。「疼木(ヒビラキギ)ノ義。刺(トゲ)、人ヲ刺セバイフ。」と語源を説明している。隣には「ひびらく」という語が「(一)微ニ震ヒ動ク。[以下略](二)動キ痛ム。ヅキヅキ痛ム。ウヅク。[以下略]疼痛」として掲載されている。
「ひいらぎ」は「柊挿す」と「柊の花」が文字通り冬の季題とされている。

  母棲みて木戸に柊挿しにけり  宮下翠舟

  柊の花に何喰む神の雞     久米三汀

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