氷川神社(蓮沼)

◆板橋区教育委員会による説明板
『氷川神社

 当社の御祭神は、須佐之男命、奇稲田姫命の二柱を奉祀する。
 もと蓮沼村前沼の丸池の沼畔に鎮座してあった。新編武蔵風土記稿(文政十一年)に「氷川社三、一は村の鎮守、一は蓮沼・根葉二村の鎮守、共に南蔵院持、一は金剛院持」とある。明治三十三年に当時の上蓮沼村と根葉村が合併し蓮根村ができ、村の鎮守となった。大正十三年現在地にうつり、昭和四十四年、鉄筋流れ造の現社殿が完成した。
 境内には、末社御嶽神社、稲荷社が祀られ、また古い石祠が残っている。

                                         平成二年三月』


◆社殿前の狛犬は蹲踞の姿勢の江戸型。奉献年は「昭和10(1935)年9月」。石工名は未確認。
 富士塚中腹の狛犬(玉取りのみ)は江戸型。奉献年、石工名は未確認。

◆初対面 '06/03
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氷川神社(双葉町)

◆板橋区教育委員会による説明板
『氷川神社

 御祭神素戔嗚命(すさのおのみこと)
 創建年代は不明であるが、社伝によると応永年間(1394〜1427)に大宮氷川神社から勧請されたと伝えられている。当社は松山氷川大名神と称し、旧根村、板橋宿上宿の産土神として崇敬された。
 相殿として祀られている蒼稲魂命(うかのみたまのみこと)は、もと下板橋宿稲荷台の新堀山に鎮座していた新堀稲荷社で、板橋城廃城後、太田道灌の家臣新堀氏がこの地で奉斉したもの。下って、明治四〇年合祀令によって氷川神社に合祀された。

                                         平成七年二月』


◆社殿前の狛犬は蹲踞の姿勢の江戸型。奉献年は「嘉永五年(*)六月吉日」[(*)1852年]。石工名は未確認。
 参道脇の狛犬は蹲踞の姿勢の岡崎型。奉献年、石工名は未確認。

◆初対面 '05/12
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氷川神社(氷川町)

◆板橋区教育委員会による説明板
『氷川神社

 御祭神素戔男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)
 創建は第八十三代土御門天皇の元久三(1206)年頃、この辺りの領主豊島左衛門尉常泰が武蔵国一の宮氷川神社(現大宮市)から御分霊を、石神井河畔の景勝の地である当地に勧請したのに始まると伝えられる。
 江戸時代は板橋宿の鎮守として広く信仰を集め、今日に至っている。
 当社は明治二十二年に火災にあい、文書や社宝などを消失した。社殿は翌年再建されたが、昭和二十年四月十三日の空襲により再び消失した。戦後昭和二十九年に御造営奉賛会が結成され、昭和三十二年に現在の社殿が竣工した。

                                         平成六年三月』


◆境内の狛犬は、蹲踞の姿勢の江戸型。奉献年は「弘化二年(*)四月吉日」[(*)1845年]。石工名は「小石川西富坂町 石工高木○○作」と読める

 境内社「天祖神社」前の狛犬は、蹲踞の姿勢の江戸型。奉献年は「安政六年(*)十一月吉祥日」[(*)1859年]。石工名は未確認。

◆初対面 '05/12
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小豆沢神社

◆板橋区教育委員会による説明板
『御祭神 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
      他一六柱
 当社は、康平年間(1058〜1065)、源頼家の勧請と伝えられます。江戸時代には、十二天社と呼ばれ、小豆沢村の鎮守でした。
 小豆沢の地名の由来については、
一、平将門の時代、神社の台地下の入江(荒川の昔の河道)に停泊中の船が嵐に
 遭い、
小豆を積んだ袋を流失した。
二、上流から漂着した米を腐らないうちにと食べたことを、裁判で評価され、祝いの
 小豆飯を炊いた。
という二つの故事が残ります。現在では、後者の故実に因み、毎年六月一五日に餅つき祭が執り行われています。
 明治二年(1869)、社号を小豆沢神社に改め現在に至っています。
 二の鳥居脇の「ズダジイ」は、当社の御神木です。南の道路側へやや傾斜し、幹の内部が空洞化していますが、樹勢は良好です。天然記念物として、平成六年度、区の記念物に登録されました。

                                         平成九年三月』


◆社殿前の狛犬は蹲踞の姿勢の岡崎型。奉献年は「昭和43年10月5日」、石工名は未確認。
 境内前の狛犬は玉取り・子取りの江戸型。奉献年は「大正4年3月」、石工名は未確認。

◆初対面 '05/06
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御嶽神社(桜川)

◆板橋区教育委員会による説明板
『創建年代は不詳。旧上板橋村栗原(現・桜川の一部)・七軒屋(現上板橋)の氏神として、倭建命(やまとたけるのみこと)・金山毘賣命(かなやまひめのみこと)を祭神とする。
 栗原の地は、康生二(1456)年、太田道灌が千代田村(現・皇居)に江戸城を築く際、同村宝田村の住民を移動させたところとされ、この時村内に祀ってあった稲荷(現・宝田稲荷)もこの地に遷座させたという伝承もあって、往古より開けた土地柄であった。
 当神社もその頃、信州の御嶽山(一説には甲州)を勧請したと伝えられる。境内にある嘉永七(1854)年銘の狼型狛犬は、山岳信仰を伝えるもので、同型のものとしては都内でも有数の古さを誇っている。
 毎年三月八日に行われる毘謝祭には、強飯式の面影を残す大盛飯の膳、大根で作った鶴亀(逢来山)を神前に供える風習が残されている。
                                         平成四年三月』


◆写真一段目は昭和35年銘、二段目は昭和61年銘の狼型狛犬、石工名は未確認。
 写真三段目は、「説明板」にある嘉永七年銘の狼型狛犬、石工名は未確認。
 写真四段目は、境内社前の江戸型狛犬。年銘、石工名は未確認。

◆初対面 '05/04
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氷川神社(成増)

◆昭和7年3月、氷川神社(赤塚)から分社されたと伝えられる。

◆社殿前の狛犬はブロンズ製。奉献年、制作者など未確認。

◆初対面 '04/10
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諏訪神社(大門)

◆板橋区教育委員会による説明板
『御祭神建御名方神。
 創建年代は不詳であるが、赤塚の領主千葉介自胤が、長禄年間(1457〜60)に信濃国(現長野県)の諏訪大社を勧請し、武運長久を祈願したと伝えられる。その後寛永七(1630)年頃に十羅刹女を配祀したが、神仏分離の際これを廃した。
 江戸時代の江戸名所図絵には、「田遊び」神事が記載されている。田遊びは、水田耕作にかかわる神事で、年の始めにあたりその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る「予祝」の祭りである。毎年二月十三日(旧暦の正月十三日)の夜に行われ、本殿と大鳥居間の朝輿の渡御の後、社前に設けた「もがり」の中で一年間の農耕行事が所作と唱言によって象徴的に演じられている。
 昭和五十一年に徳丸北野神社の田遊びとともに国の重要無形民俗文化財に指定された。

                                         平成六年三月』


◆参道脇の狛犬は蹲踞の姿勢の江戸型。奉献年は「明治十五壬午年四月吉日」と読める。石工名は未確認。
 境内社前の狛犬は蹲踞の姿勢の江戸型。奉献年、石工名は未確認。

◆初対面 '04/10
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氷川神社(赤塚)

◆板橋区教育委員会による説明板
『旧上赤塚町一帯の鎮守である。改築前の社殿は区内に類を見ない古風な様式をとどめていた。祭神は素戔嗚命と藤原広継命である。藤原広継命は奈良時代に政権争いから九州へ追いやられ、太宰府で反乱を起こしたが、朝廷軍に捕らえられて処刑された薄幸の貴族である。
 朝廷ではその怨霊のたたりをおそれて神として祀ったが、いかなる理由で当社にまつられたかは不明である。
 境内の朱塗りの厳島型鳥居も珍しく、また一の鳥居までの欅並木の参道も見事なものであり、その巨木は当社の歴史の古さをものがたっている。この他にも人造富士、白山社、疱瘡神の祠など見るべきものが多々残されているが、春に満開となった時の桜並木は特に美しい。
 また、かつて行われていた「田遊び」の名残が留められている。
                                         平成五年二月』


◆社殿前の狛犬は玉取・子取の江戸型。奉献年、石工名は未確認。
 境内社前の狛犬は蹲踞の姿勢の江戸型。台座裏に「明治三十五年六月建之 東京石工 酒井八右衛門」の銘あり。

◆初対面 '04/10
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氷川神社(東新町)

◆創立は不詳だが、武蔵一宮氷川神社から勧請されたと伝えられる。旧上板橋村の鎮守。本殿は嘉永五年の改築。

◆社殿前の狛犬は両子取りの江戸型。年銘は「嘉永三庚戌年九月吉祥日」、石工は「小石川 白山下 石工 五郎兵衛」の銘あり。(嘉永三年=1850年)

◆初対面 '04/07
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氷川神社(大谷口)

◆板橋区教育委員会による説明板
『当社は古来大谷口村の鎮守で、速須佐之男命、大雷命、木花佐久夜姫命を御祭神としている
 延宝二(1674)年の御水帳に、「末社浅間社の御除地当村の内に二十四坪」と記され、同様に末社稲荷社、鳴社、鹿島社、須賀社についても記載されている。このことから当社は延宝年間には既に創建されていたことが明らかである。
 古くから大谷口村民の信仰をあつめ、毎年一月十九日には稲荷毘射、氷川毘射の神事が行われている。   平成五年二月』


◆鳥居脇の狛犬は蹲踞の姿勢の岡崎型。奉献年、石工名は未確認。
 社殿前の狛犬は蹲踞の姿勢の江戸型。台座裏に「天保十一庚子年八月吉日 小石川御箪笥町 石工 笹右エ門」の銘あり。(天保十一年=1840年)

◆初対面 '04/06
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菅原神社

◆板橋区教育委員会による説明板
『御祭神はその名のとおり菅原道真公を奉祀する
 創建年代は不詳であるが、旧成増村の鎮守にして、明治七年四月に旧社格「村社」が与えられた。江戸時代には青蓮寺が別当となっていた。
 幕府編さんの地誌新編武蔵風土記稿には「山王社」、境内にある延宝七(1679)年銘の区内最古の手水鉢には「自在天神」、さらに明治二年の「社寺取調下案に「天神社」とある。このことから当社は、社号(神社名)がしばしば変更されていたようである。
 本殿は明治十七年八月に氏子の寄付金によって再建され、大正年間には拝殿が新築されている。   平成三年七月』


◆社殿前の狛犬は蹲踞の姿勢の岡崎型。奉献年、石工名は未確認。

◆初対面 '04/02/28

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